ユキとみしゃどん13歳の夏 フィリピンの旅

 ZEROキッズが “スモーキーマウンテン” を知ったのは、NPO法人国境なき子どもたちの『子どもレポーターフィリピン取材』のビデオに声の出演を頼まれたことがきっかけでした。映像の中で見るこどもたちの姿でしたが、豊かさの中で当たり前のように暮らす私たちに「幸せってなんだろう?」と考えさせる衝撃を与えてくれました。そして、そのこどもたちをミュージカルの中の地球のこどもとして登場させることになり、2003年に「そらのふ・し・ぎ」を初演しましたが、再演にあたってスモーキーマウンテンのこどものジョエル(ユキ)とジョーイ(みしゃどん)役の二人は、2005年8月21日~27日、SYD青年部が主催する“ボランティアアクション in フィリピン”に参加し、自分の目でスモーキーマウンテンを見てきました。13歳の夏、フィリピンは二人の目にどのように映ったのでしょうか?

 マニラの青い空、フィリピンの人たちが好きな赤、ボランティア団のシャツの黄色、ゴミ山の灰色。今回フィリピンの良い所も悪い所も見て来ましたが、一日一日の経験が重すぎて、その日のうちには自分の中で消化できないこともありました。今改めて考えてみると、それだけこの7日間の日々は貴重な出会いと体験の連続だったのだなあと感じています。その中で私の心の中に残っていることを三つあげたいと思います。

 一つ目は、やはり現地の子どもたちのキラキラした目と笑顔でした。ストリートチルドレンとの交流の時もパヤタスの子どもたちとの交流の時も、現地の人々にとっては私なんてもちろん初めて見る人なのに、ちょっと目が合っただけで100%の笑顔を見せてくれました。それは生まれて初めて家族以外の人から心の底からの笑顔をプレゼントされた気分でした。このプレゼントはお金では換えられないもので、見るととても安心できて、すごく幸せな気持ちになれる強い力を持ったプレゼントでした。その笑顔の源とは何なのか、そしてどこから来ているのかを考えてみました。それはあんなに苦しく厳しい現状の中にいても弱音を一言もはかずに、たくましく生きていて、ましてや自分の人生は幸せだと言い切れるその強さだと私は思いました。フィリピンのバスガイドさんが「日本とフィリピンの1年の自殺人数を比べると、日本人の方がはるかに多い」と話してくれましたが、日本は豊かな生活をしているはずなのに、ちょっとしたことで自殺を考えてしまう弱さがあることに気づき、私は同じ日本人としてショックでした。フィリピンには生きたくても生きることのできない人々がいっぱいいるのに・・・。これが私の考えた笑顔の源です。

 そして、二つ目は映画「神の子たち」で見た水頭症のアレックス君に会えたことです。私が初めて見た画面の中のアレックス君は、まだ幼くて、体の大きさに比べて頭の大きさがとても目立っていたけれど、今回私が自分の目で見たアレックス君はとても元気そうでした。以前は座るのも難しかったのに、今はちゃんと車椅子にも座れるようになっていました。私が一緒に写真を撮った時も笑ってピースをしてくれてとても安心しました。それから彼の家に行った時もカラオケでお気に入りの曲を歌ってくれて、こんな元気そうなアレックス君の姿を見て、初対面のはずなのになぜか自分のことのように喜ぶことができたように思います。

 そして最後の三つ目は、マザーテレサの施設で会ったおばあさんのことです。私が最後帰る時まで一緒にいたおばあさんから一言「助けてね」と言われました。私はその一言がとても重く心に残っていて、その後もずっと「助けてね」という一言の意味を考えていました。私には“自分のことを助けてね”という意味ではなく“私以外のすべての人を助けてね”というように聞こえました。この時の一言は私の心の奥にズシンと響き、その責任の重さと共に深く深く残りました。今でもその時のことが頭をよぎり、思い出されると自然に涙が出てきて止まらなくなります。

 13歳の夏にフィリピンであったことは、ただ見て来ただけにしてはいけないと思っています。結団式の時にSYDの方がおっしゃっていたように、Why(なぜこんなことが起きるのだろう)とWhat(これから何ができるのだろう)を考え続けていきたいと思います。そして私はこれに加えて、How(どのように)ということも追い求めていきたいと思っています。今の私には『すべてを救える力』はないけれど、小さな一つのことでも支える力を持てるように、今日という一日一日を精一杯、一生懸命生きていきたいです。そしてそれがいつか私が現地の子どもたちにもらった『最高の笑顔のプレゼント』を、今度は誰かにあげられるようにしたいです。

梁川 幸(立教女学院中学校1年)
スモーキーマウンテンの兄ジョエル・ランポス役

 「幸せって何だろう?」日本に帰って来て私が一番最初に考えさせられたことです。日本の町中を見渡せばきれいな家々が建ち並び、当たり前の様に学生が学校へ行く。地面で寝ている人などもそんなにはいない。日本は食べ物はあるし、勉強できる環境も整っています。経済的にはとても恵まれています。フィリピンはどうでしょうか? 一見フィリピンはきれいな海に囲まれていて日本にはない教会が建っていて華やかな国に見えます。しかしその背景には美しい街並みからは想像できないような世界が広がっているのです。地面で生活している人がいたり。外で売られている食べ物に虫がついていたり・・・。正直、私はかなりショックを受けていました。

 しかしフィリピンで一番衝撃を受けたのはマザーテレサの施設とパヤタスのゴミ捨て場です。マザーテレサの施設に訪問した日、一人の老人が亡くなりました。死んでしまった人を見るのは初めてだったのでそれだけでびっくりなのですが、もっとびっくりしたのは体や足の細さです。棒のように細い手足、痩せこけてしまった頬。私は「十分にご飯を食べられていなかったのか、、、」と思ったと同時に今までご飯のありがたみなんて思ったこともなかった自分に腹が立ちました。ご飯を一日三食食べられるということがこんなにもありがたいのだ、ということを実感しました。また、子どもの施設では障害や病気を持つ子どもが生活していましたが、ここでも日本の子どもとの体格の差に唖然としてしまいました。子どもの中に私と同じ13歳の子がいましたが、同い年とは思えないような体の小ささ。しかし「生きよう」という気持ちが私の心の中に強く伝わってきたのです。みんな明日生きるために必死でがんばっているのだな、と思いました。

 パヤタスのゴミ捨て場の中には入れませんでしたが、近くで見ることが出来ました。鼻をつくような臭い、膨大な量のゴミでできている山。日本には見られないような光景です。しかしそこに住んでいる人たちも明日また生きるためにがんばっていました。

 色々なフィリピンを見てみると、貧富の差が激しく経済的にはあまり恵まれていません。では、日本とフィリピンとどちらが幸せなのでしょうか?

 私にはどちらが幸せな国なのかはわかりません。何故かというと、フィリピンは生活は貧しくても心が豊かに思えるからです。みんな目が輝いていていつも笑顔で、言葉が通じなくても心で通じ合っているような気がしました。私たちがバスに乗っていても外から手を振ってくれたりします。日本ではなかなかこんなことはありません。

 フィリピンでのボランティア活動を通してフィリピンの人々からたくさんの笑顔と希望をもらった気がします。「幸せとは何か?」ということをたくさん考えさせられました。私が思う「幸せ」とは、お金がたくさんあることではありません。希望を持って生きることができる、ということだと思うのです。フィリピンでたくさんの貴重な体験をさせてもらったのだから、今度は私たちの番です。世界の状況に目を向け、ボランティア活動に積極的に参加し、自分ができる一つ一つのことをやっていき、それを周りの人たちにも伝えていきたいです。世界の人々が幸せになれるように。

嶋田美沙子(東京大学教育学部付属中等教育学校1年)
スモーキーマウンテンの妹ジョーイ役

進行例  

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